ベルジャーエフの思想
大須賀 史和
本論文はロシアの宗教哲学者ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ベルジャーエフ(1874~1948)の初期の哲学的形成過程とそこにおいて論じられた問題群について、その射程と意義について検討するものである。取り扱う時期については1900年のデビュー前後から著書『創造の意味』の刊行された1916年までである。ベルジャーエフが取り組んだテーマは極めて広範であるため、本論文においては、主として認識論、世界観、形而上学として概括される分野のみを扱うこととし、当該時期のロシア思想史における歴史的事件であった論集『道標』については当時の思想界に対するベルジャーエフの姿勢という点から簡略的な記述を付すことにする。資料として用いたのは当時の雑誌掲載論文と著作、そして最近公刊された書簡類である。構成は二部構成とし、それぞれ二章立てとして、第一部に1900年前後から1907年までの時期を当て、マルクス主義から出発した彼の思想的な軌跡を追いながら、その哲学的な形成過程を検討する。第二部では1911年の『自由の哲学』と『創造の意味』における宗教哲学的な議論の持つ意味合いと射程について、ベルジャーエフが親しんだドイツ観念論哲学などとの比較を通じて、検討していくことにする。以下、各章の概要を示していく。
まず、第一部の第一章では、ベルジャーエフの思想的出発点である「マルクス主義と批判哲学の結合」という問題を取り上げ、マルクス主義者として自己規定していたベルジャーエフが哲学的にはカントや新カント派の哲学を主として摂取し、客観的な哲学的観点を基礎として具体的な社会問題の解決のための哲学的糸口としていたことを明らかにする。そこには、ベルジャーエフの大学での環境が大きく影響していたと考えられる。また、デビュー論文「ランゲと批判哲学」では実証主義的な見地から、カントの認識論における最大の問題である「物自体」の措定を克服するため、内在学派の影響を受けつつ提起した「レアーリノスチ」の概念について検討している。これは、カントのカテゴリーにも取り入れられているレアリテート(実在性)の概念を現象論的に解釈したもので、主体と客体の関係性にのみ立脚するような構成として捉えられているものである。しかし、そこでは必ずしも実証主義が貫徹されているわけではなく、形而上学的な構成へと必然的に移行する要因を内包していることが示される。そして、哲学的に観念論的な構成が要請されていることが自覚され、自らの立場をイデアリズムとして規定した時期が後半で取り扱われる。これはカントの理性理念と社会的な理想の構築を統合した立場として規定されるものであるが、その過程でマルクス主義的なイデオロギーや世界観の持つ問題が提起され、内在的な哲学的批判が展開されてくる。そこでは超越的な価値の追求という理性理念の持つ形而上学的特質が全面的に展開されると同時に、精神性をめぐる歴史哲学的な思索を包含するような構想であったことが明らかとなる。また、そうした傾向は倫理学的にも展開され、人間を捉える観点として超越論的な構造の措定が不可欠な要素として展開されていることを指摘する。
第二章では、1903年から1907年までのマルクス主義批判と形而上学的議論の深化を経て、宗教的な哲学構成へと移行していく時期を取り扱う。この時期は、ベルジャーエフの哲学の真の形成期とも言える時期であり、後の哲学的展開を規定するような議論が行われている。まず、当時の倫理学や歴史哲学など様々な領域にまたがる統一的な世界観として受容されていたマルクス主義に対する批判が提出され、それに対置すべき世界観を打ち立てる作業が行われている。そこでの前提として、世界観と宗教とが人間の精神を規定するものとして表裏一体であると捉えられていたことが明確化される。ベルジャーエフは人間の完全を倫理的、社会的な目標として措定するため、真善美という超越的な価値を目標とし、そこへの進歩として人間の発達を規定しうる世界観=宗教を確立しようとしていたのである。そして、彼の思想全般の特徴となる個別性や自由という概念も措定されていくのである。従って、この時点で形而上学的な歴史哲学への萌芽が見られるが、そこで参考とされているフィヒテやヘーゲルの哲学との関係として、個々の問題においては明らかに受容した側面があるものの、その根底にある個別主義的な志向が極めて大きな相違を生み出していることを指摘する。そして、これらの議論を包括する総合的な観点として、普遍性と個別性を同時に確立すべく提出されている一元・多元論の問題を扱うが、その中心的な問題として既存の観念論哲学の体系志向にある一元論への傾斜の批判がホミャコーフの提起したヘーゲル批判の影響にあったという見方を提示する。そこで「存在するもの」の哲学が目指されたがゆえに、普遍主義と個別主義の両立という一見矛盾した哲学への志向を正当化するための議論に力が注がれたことが明らかとなる。これはヨーロッパの近代哲学を相対化する視点ともなり、ベルジャーエフの合理主義批判の礎石を置くと同時に、ロシア哲学の可能性に対する期待にも繋がり、「民族的な哲学」が世界的意義を持ちうるという期待へも繋がっている。彼のロシア・ルネサンス観もそうした見方から提起されており、メレシコーフスキーらの提起した新しい宗教意識にキリスト教的なものと異教的なものという普遍性が民族的な枠組みの中で融合、再編される過程として捉えられたことから、文化史的な観点の基礎が築かれたことを指摘していく。また、肉体の問題を契機として、精神的存在という一元・多元論の中心テーマが彫琢され、心身二元論的な観点を批判する論点が成立していることも明らかとなる。そして、認識論的な問題としては、レアーリノスチの問題が主客の相関性という観点の普遍化によって精神的存在の直観的認識を導出する概念として機能すべく新たに定位されていることが示される。『道標』論争に関しては、独創的な哲学の構築を行っていた彼の立場からなされたヨーロッパ哲学に対する当時のインテリゲンツィアの功利主義的な態度に対する批判であり、政治的性格の強い論争に敢えて関わらなかったことを明らかにする。
第二部の第一章では、『自由の哲学』第一部に収録された論文から、ベルジャーエフの認識論の新たな展開について検討している。合理主義哲学批判以後、ベルジャーエフはカント型の認識論とは異なる観点を提示していくが、そこでは宗教的な観点からの認識論の構築が中心問題となっている。まず、カントによる認識論構築の基本的構想の志向性を振り返り、フィヒテによる「自己認識」をめぐる循環モデルの問題との比較を通じて、主客の分離という前提からでは完結した認識論の構築に破綻を来すとというベルジャーエフの主張が十分に根拠付けられることを示していく。また、同時代の哲学者ロスキーの議論に対する批判的な議論の中で、「存在論的認識論」という問題が提起されており、両者の議論に見られる相違点から、ロスキーが存在の超越性と知の内在性という観点から問題を提起したのに対して、ベルジャーエフが精神的存在の直接的接触として認識を捉え返そうとしていたことが明らかにされる。そこから、キリスト教的なモチーフを大胆に導入することで、人間存在を取り巻く状況の解読が行われ、陥罪の問題や自己犠牲というテーマを認識論に取り込んでいることを示していく。そこから、プロテスタント的な個人主義の産物としてのカント的認識論の問題を正教的なソボールノスチの概念によって克服し、宗教的な観点においても普遍主義と個別主義の調停を提起していることを明らかにする。そして、ベルジャーエフの認識論が主客の同一を宗教的なロゴスによって基礎付け、合理化される以前の意識に着目し、人間をミクロコスモスとして捉える神秘的伝統の摂取によって、愛による認識というこの時期の結論を獲得していることを明らかにする。
第二章では、『創造の意味』における人間論と創造論の問題を中心的に扱っていく。ここでは、既存のキリスト教が示した人間観に対して、新たな人間像を構築することが主眼であったことを明らかにするため、まず人間の二重の自己意識という問題を扱う。これはフィヒテの議論とは異なり、自らをどのような存在として定位するかという実存的な問題であり、そこで自らを世界の中心とすると同時にその一部であるという形で二重化することによって、キリスト論との接点を準備していることを明らかにする。ベルジャーエフのキリスト論は神秘的な両性具有論や神であると同時に人間でもあるキリストの二性論に着目し、そこに人間の範型を見出したことに要点がある。そして、贖罪や復活というテーマを重ね合わせていくことで、キリスト以後にその事業を継承した人間は神の創造を継続する使命を負っているという創造論の基礎が提出されることを示していく。さらに、キリストにおける神-人関係を三位一体論にも展開し、世界過程を神性の動態である三位一体的な運動性と解釈することで、流出論的な観点との対比から、自由な個の確立が創造の不可欠の要因として提起され、一元・多元論が三位一体の問題の導入によって、さらに豊かな形象を与えられるに至ったことを示していく。また、ヘーゲルの疎外論における人間像との比較によって、ベルジャーエフが人間のあるべき理想としてこれらの議論を展開していたことを確認していく。最後に、こうした創造論の発想を提供したイタリア・ルネサンスに対する観点から、文化論や歴史哲学の問題が提起されており、そこから芸術創造の精神的な意味とそこから普遍化された原理としてのヒューマニズムの問題が導出されうることを明らかにする。