東京外国語大学附属図書館所蔵

戦前・戦中・占領期日本語教育資料について

東京外国語大学 大学院総合国際学研究院教授
                    河路 由佳

 2011年6月、東京外国語大学附属図書館に学校法人長沼スクール(旧:財団法人言語文化研究所)より「戦前・戦中・占領期日本語教育資料」が寄贈されました。国内外で用いられた日本語教科書・教材等286点の書籍は附属図書館に、書籍以外の一次資料は本学国際日本研究センターが寄贈を受けました。附属図書館では、この日本語教科書・教材等286点のうち著作権者の許諾のあるもの・著作権保護期間の満了したものにつきまして、本学国際日本研究センターの協力を得、全文画像化図書として公開する運びとなりました。

 (財)言語文化研究所(2009年度より改組に伴い学校法人長沼スクールと改称)は、1941年8月に文部省内に設立された日本語教育振興会の財産を引き継いで1946年3月に長沼直兄(ながぬま・なおえ)によって設立され、長沼直兄の著作を含む戦前・戦中・戦後の日本語教育の関連資料を保管してきました。本コレクションが通称「長沼直兄文庫」と呼ばれる所以です。

Naganuma Naoe Portrait

長沼直兄 叙勲に際して 1965年11月

 長沼直兄(1894-1973)はアジア太平洋戦争の前後それぞれ20年余り、都合およそ半世紀を日本語教育者として生き、日本語教育のための調査研究、教材作成、教員養成に大きな足跡を残しました。日本の英語教育のために招かれていたハロルド・E・パーマーと意気投合し、その紹介で米国大使館の日本語教官となった長沼直兄は、語学将校らに教えながら『標準日本語讀本』全七巻(1931-1934)を完成しました。しかし、アジア太平洋戦争前夜には日米関係の緊張から教室は閉鎖され、戦争中は日本の敵国となった米国の陸海軍で、長沼直兄によるこの教科書の複製版が使われました。

 一方で日本は、アジア諸国と「大東亜共栄圏」を形成し日本語をその共通語にしようと、未曾有の規模で日本語普及活動を展開しました。日本語普及事業を統括的に行う実務機関として、1941年8月に文部省内に設置された日本語教育振興会が設立されましたが、長沼直兄はその中心的人物として対アジアの調査研究、教材開発、教員養成活動を担当しました。アメリカとアジアの間にあって長沼直兄の行ったさまざまな実践の成果としての教材は、時代を超えて広い地域で使われました。

 このコレクションは大きく分け次の二種類から成っています。

 A:1941年8月に文部省内に設立された日本語教育振興会(1941-1946)の出版物をはじめとする日本語教育振興会の蔵書(同時代の国内外の日本語教育関係の図書・教科書や、当時参考文献とされた先行教材等)。

 B:長沼直兄の米国大使館日本語教員時代(1923-1941)や占領期の米軍将校らへの日本語教育関係、戦時でも日本語教育振興会とは別の活動として出版した本、また占領期に出版された教材など、長沼直兄に関わるA以外の出版物。

 日本語教育振興会は「大東亜圏内における日本語普及」のための調査研究、教材作成、教員養成などを統括的に行なう機関でしたから、Aの日本語教育振興会による出版物はアジア向けに作成されたものです。当初は中国大陸を対象にしていましたが、1942年8月、閣議において「南方諸地域日本語教育並普及に関する件」が決定すると、対象地域は東南アジアに広がりました。統括的機関であったことから、同時代の日本の内外各地の日本語教科書など日本語教育関係の文献が集められており、コレクションにはそれらが含まれています。

 Bは、米国大使館での日本語教授から生まれた長沼直兄『標準日本語讀本』(1931-1934)を中心に、戦時中の米国におけるその複製本や戦後の改訂版など。また、戦時中に日本語教育振興会とは別に長沼直兄が著した『First Lessons in Nippongo』、そして占領期に米軍総司令部参謀第二課日本地区語学科の日本語主任を務めた時期の長沼直兄の著作やその参考書など、戦前・戦中・戦後の長沼直兄に関わるA以外の蔵書です。これは戦後1970年代ごろまで、日本の国内外で広く使われました。

 私たちは過去の教育現場を体験することはできませんが、教科書を1ページずつ開いてゆくことで、当時の学習者や教師たちに近づくことができます。それらを生み出した歴史的文脈や社会の力を感じつつ言語教育への深い思索への扉を開くこともできるでしょう。関心を持つ多くの方々に、これらの資料を活用していただけますよう心から願う次第です。

2012年9月28日

※ 戦前・戦中・占領期日本語教育資料 全点リスト(分類順)(excelファイル)
※ 「戦前・戦中・占領期日本語教育資料」の分類について
※ 長沼直兄略年譜
※ 平成23年度東京外国語大学附属図書館特別展示『戦前・戦中・占領期 激動の時代の日本語教育 長沼直兄の仕事を中心に』図録

【関連論文】
・ 河路由佳 2010 「長沼直兄(1945)『First Lessons in Nippongo』の成立と展開―長沼直兄の戦中・戦後―」 『東京外国語大学論集』第81号, pp.113-132
・ 河路由佳 2012 「長沼直兄の戦前・戦中・戦後―激動の時代を貫いた言語教育者としての信念を考える―」 『日本語教育研究』第58号, pp.1-24

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